「おい!早く行こうぜ!」
梅雨の蒸し暑い日曜日の秋葉原。午後1時38分。
元気な高校生くらいの男の子たちが全力疾走でかけぬける
昨日はアイドルの聖地秋葉原に20年ぶりに降り立ちました。
(アイドルを追いかけるわけではありません!真面目なお勉強で朝から晩まで2日間缶詰でした)
ここを最後に訪れたの頃はまだ自分は大学生で、毎日グラウンドを部活(ラクロス)で走り回っていた頃(懐かしい、、、)。
時の流れは早く、秋葉原の街並みも大きく変わっていました。
高校生の男の子たちが走っていったその先には某アイドルグループが運営する劇場が。
改札口からすぐの所にあるにも関わらず、その建物が何なのか自分にはしばらくまったくわかりませんでした。
かなり目立つ建物でありアイドルグループのロゴがあるにも関わらず。
人は見たいものしか見ない
そう、僕たちは気にしていないものは意識することが出来ないのです。
これは自分の身体についてもおなじこと。
自分の体のことは自分がよくわかっているそんなことも言われるけれど、それは本当でしょうか?
毎日毎日一生懸命働いたり、勉強したり、家のことをしたりしているあなたは、本当に自分の身体を感じることはできていますか?
ここまで読んでもらったあなたに質問です
今あなたの足の裏はどこについていますか?
両足とも地面についている?
片足だけ?
そもそもあぐらをかいていたからついていない?
それを僕から質問される前から意識していましたか?
意識できていた人もいるでしょう。
意識できていなかった人もいるでしょう。
僕たちは習慣の生き物と言われています。
知らず知らずに繰り返している動作は気づいていないから、変えようがありません。
足は人間の土台です。
しかし今の時代、座る時間が長くなりすぎて、足の存在が薄れてきているといいます。
土台である足の存在がうすれるということは、ビルの1階があやふやであるということ。
1階である足がそのような状態ではその上に積み上がっている体の部位が安定できるはずもありません。
安定しようとすると、変な力が入ってしまいます。
ただ立つだけで力が入っている状況では疲れが取れないのも当たり前
何かをしてもすぐに疲れるのは当たり前
聞いてみれば当たり前のことなのだけれど、気にしている人が少ないのも事実
なぜなら、今あるものを当たり前と思うから。
気づくことから変化は生まれる
気づかなければ意識することはできません。
意識できなければ変わることもできません。
気づき始めたら意識してかわっていくことができます。
自分と仲良くなる第一歩は自分の今の状態にきづくこと。
そのためには、普段ある当たり前をちゃんと見直してあげること。
当たり前の事を当たり前としてとらえないこと
それが自分を取り戻していく第一歩になるから。
それではまた
森部高史